たわいもない話

おばさんの独り言

父に精神科に行こうと言った日

7年前、多量の連続飲酒からアルコール性の小脳失調症になったがなんとか無事回復、そのときは内科の医師に諭されて断酒、が四年前に再飲酒で再度身体を痛めた父。69歳になっていた。

その時、家族と相談の上とはいえ、主になって父をアルコール依存症の病院へ入院させる段取りをしたのは私。

というか、何かあって呼ばれるのは私。

私は実家から車で2時間、妹は飛行機で1時間半だから、しょうがないやね。

私は昔から父が怖く、心の中では距離を置いていた。

笑顔なんか滅多に見せない、家族の言うことなんか聞かない。

酒を飲むと人の悪口言ったり、僻んだことを言うので嫌でもあったし。

そんな過去の思いもあって、どうせ治療してもこの年だし、すぐまた呑むんじゃないの。

それなら、好きなだけ呑ませて家で死ねばいいんじゃないの?

私が一生懸命お膳立てしたって、本人には嫌がられるんじゃないの?

と最後まで父に精神科を勧めるのを迷った。

いや、迷いではないかも。

母のため、私のためにも精神科に行ってもらいたかった。

自分は病気だと自覚してほしかった。

酒呑み過ぎて体調悪くなる度に、連絡寄越されるのも嫌。

また呑んでるのではないかとビクビク心配するのも嫌。

ただ、怖くて言い出せなかった。

結局なんと伝えたのか、実はよく覚えてない。

ただ父が、案外素直にそうだな、そうでもせんとやめられんなと頷いたのに、助かった、と思ったのは覚えている。

そして内科の病院から、精神科へ転院扱いで行ったにもかかわらず、医師の診察後に保護入院となった時も。

いきなり隔離病棟へ連れてかれ、身の回りの品をチェックされ、携帯、お金と取り上げられていく内に父が怒りだし、母な涙ぐみ、それを見ながらなんとなく私が悪いような気になったのを覚えている。

それでもなんとか、父は三ヶ月の治療プログラムを終えて退院。

しかし、あそこは嫌いだとそれ以来受診せず。

でも…私に対してはなんの文句も言わなかったな。

断酒会にも行かず。ただ、断酒は続いてる。

そうだ、意外に地区のクロッケーなんかに参加してる。

近所の人との立ち話も嫌いだったくせに。これには私も母も妹も、とにかくびっくり。

母は、今度また呑んだら家で死ぬまで看るわ、と言う。

内心私は無理やろ、と思ってる。

いいわ、その時はまた悩みながら迷いながら、私がどうにかするんだろう。

その時、がんばるわ。

だから、今は思い出話しだけ。